2014年3月5日東京出発〜3月14日東京帰着 シニア自然大学校有志8名 |
3月 5日 8:00東京竹芝客船ターミナル集合(大阪からは夜行バス・航空機等自由集合) 父島へ向けて 10:00出港 船中泊 6日13:40途中大時化で2時間10分遅れて父島二見港へ到着 晴れ。宿泊先のペンション扇裏に荷物を預け島内観察。 ペンション扇浦泊 7日 終日シーカヤック、八つ瀬川〜小港海岸〜コペペ海岸 同上泊 8日 終日ホエールウオッチング 少々波高く予定の南島へは上陸出来ず。 同上泊 9日 終日ジャングルトレッキング 千尋岩方面・ハートロックの上へ 同上泊 10日 終日自由行動 8人乗りレンタカーで二見港周辺大神山神社公園〜中央山〜小笠原亜熱帯農業センター〜海洋センター 同上 泊 11日 7:30二見港出港母島へ 9:40母島到着、アンナビーチ母島ユースホステルへ荷物を預け島内自然観察 母島ユースホステル泊 12日 午前母島ホエールウオッチング。 午後南崎・小富士トレッキング。 同上泊 13日 出港まで自由行動 10:10母島丸出港 12:20父島到着 14:00小笠原丸父島出港 船中泊 14日 16:00東京竹芝客船ターミナル帰港 解散 |
歴 史 | 古第三紀、凝灰質砂岩・泥岩・石灰岩などの海底噴出物より形成される(今でも各所に枕状溶岩が見られる)。 16世紀末、小笠原貞頼によって発見されたとの記述もあるが定かでない。 その後スペイン、フランス、アメリカ、イギリス等が領有を主張するも確定には至っていない。 江戸時代は無人島(ムニンジマ・ボニン)と呼ばれていた。今でも固有種には「ムニン○○○」と呼称されている。 明治9年(1876年)明治政府が日本統治を各国に通告して領有権が確定した。 昭和20年敗戦後(米軍は上陸していない)米国統治となったが同43年6月26日日本へ復帰した。 |
面 積 | 父島=約24km2 母島=約20Km2 |
人 口 | 父島=約2000人 母島=約450人 他の諸島は無人島である。 |
固有生物 | 哺乳類=オガサワラオオコウモリだけ。 野生ネコ、野生ヤギ、ネズミ等は人間が持ち込んだもの。 爬虫類=オガサワラトカゲだけ。 グリーンアノールも人間が持ち込んだもの。ヘビは今でもいない。 両生類=なし。 オオヒキガエルも人間が持ち込んだもの。 鳥 類=カツオドリ・ハシナガウグイス・メジロ・メグロ・オオミズナギドリ、絶滅の危機にあるアカガシラカラスバト等。 昆 虫=18種と大変少ない、中でもオガサワラゼミはグリーンアノールの餌食となり絶滅の危機に瀕している。 植 物=種の数は大変少ない 人間が持ち込んでおきながら「侵略的生物」と言われている「アカギ」「モクマオウ等 が島を覆い固有種の成長を妨げている。 |
父 島 |
母 島 |
3月5日 竹芝客船ターミナル集合 10:00出港の小笠原丸 低気圧の到来で海上は荒れそうだ。
レインボーブリッヂを通過 2等船室 この後が大時化で地獄の苦しみ
6日11:30前方左手に婿島が見えてきた。 13:40 2時間10分遅れで父島二見港到着
到着が遅れたため、予定の島寿司ランチを食べそこなった。
ジャンプ
3月7日シーカヤック 3月8日ホエールウオッチング 3月9日ジャングルトレッキング
3月10日自由行動日 3月11日母島 3月12日母島二日目 13日母島〜父島〜東京
いよいよ世界自然遺産父島・母島の自然観察の始まり。
3月6日 初日の今日半日は「ボニンブルーシマ」のりつ子さんの
案内で父島北部三日月山〜長崎展望台方面ホエールウオッチング
と植物観察、沢山の写真を撮りました。
3月6日〜10日まで宿泊したペンション扇浦
三日月展望台からのザトウクジラ 各地で見かけた要注意外来生物のグリーンアノール
長崎展望台からの眺望
観察した生物の写真は五十音順に掲載します。