65才 カラパタール(5545m)への 挑戦 果てしなき夢 エベレストを目指して |
昨年3月退職以来、何を目標に生きるべきか愚考の末、残された人生の目標の一つとして構想を重ね、たった一年間、国内外の小さな山歩きをして体力を鍛えたつもりで世界のヒマラヤへ挑みました。 あまりにも無謀な挑戦だったかも知れませんが、無事登頂を終え帰国した今は、達成感でいっぱいです。 自分の知らない世界はあまりにも大きく今までの人生は、何であったかとつくづく思い知らされました。 13日間歩き続けのテント生活が、何か大きなものを与えてくれたような気がします。 |
4月4日、関西空港11:45発 バンコクへ ここで東京組6人と合流して翌日カトマンズへ、ツアーリ-ダーと合流。1泊の後、小型飛行機でヒマラヤの入り口であるルクラへ。 シェルパ4名+コック・キッチンボーイ5名+ポーター4名とゾッキョ(高所用に牛とヤクを掛け合わせたもの)4頭が揃い、ここから13泊14日間の苦行が始まる。 カトマンズへ着いたときから王宮に反発したゼネストがあり、街は兵士であふれ騒然とした中でのスタートでした。 パクデン〜ナムチェ〜タンポチェ〜ディンポチェ〜ロブチェとテント生活を続け(私は1人テントのため、何時強盗に襲われるか不安と恐怖に慄きながら)ナムチェからは高度障害と闘いながら身体を順応させる。 毎日朝晩、ツアーリーダーが血流度(血液中の酸素濃度)を測定し、危険ラインと言われている70を監視、幸いにして75以上を保っていたが身体がが重く、何をするにも息切れがして思うように動けない。 高山病予防のため毎日沢山の水分を摂り、ダイアモックス(利尿剤)服用する。但し、基本は自己管理、風邪が一番の敵である。日中は30度を越すが夜間は氷点下、朝は雪がテントを覆っていることもある。 ナムチェの寒い夜、テントの中に真っ黒な物体が入り、よく見ると大きな犬が気持良さそうに添い寝していてくれた(私のテントを選んでくれて有難う・・・番犬として朝まで同居する)。 強い陽射しと砂埃と急坂に悩まされながらの登山ですが、ネパールの国花である石楠花とアイリスの花が気持を和らげてくれた。また、ナムチェからはやっとヒマラヤの白い峰々が視界に入り、ヒマラヤの実感が湧いてくる。 4月13日最終幕営地ロブチェ(4930m)にへ。いよいよ明日はカラパタールだ。 4月14日早朝ヘッドランプを着けて5時スタート。7:38カラパタールの麓ゴラクシェブへ、小休止の後8:00登頂開始。私は皆から遅れ勝ちとなり何回か途中で断念しそうになりながら、10:20意識朦朧の中、ついに5545mの頂きに立つ。 先ほどまでの雲もすっかり無くなり、目のまえに聳え立つエレベストは生涯脳裏に残ることでしょう・・・。 7才の孫が用意してくれた日の丸が無ければ、途中で断念していたと思う・・・総一郎君 有難う! |
以下に日々の記録と写真を掲載しますが、地名・山名等多々間違いがあるかと思います、ご容赦下さい。間違いについてはご一報頂ければ幸です。 ルート・ヒマラヤの地図(M氏作成提供一部編集) |
4月6日(火)トレッキング第一日目 カトマンズ〜ルクラ〜パクデン 9:00、空港で2時間ほどフライト待ちし、20人乗りの小型飛行機で、TLとメンバー7名がカトマンズを発ちルクラへ。 9:40、ルクラ着。この飛行場は平地が無いため、山間部の緩斜面を利用した300mほどの滑走路。斜面を山に向けて着陸する。なるほどこれなら短い滑走路でも早く止まれるわけだ。 ここはヒマラヤの入り口。標高は2840m。 既にシェルパ4名+コック・キッチンボーイ5名+ポーター4名+ゾッキョ4頭が揃っていて、テント・食糧・我々の荷物の積み込みが始まっている。我々は雨具と防寒具を詰めた小型リュックとカメラ・財布だけを持てば後はみなポーターとゾッキョ(ヤクの一代改良種)がダッフルバックで運んでくれる。 突然、ボワンボワンとホルンのような大きな音がして、近くの山から着飾った大勢の僧侶達が高僧らしき人を輿に乗せて、我々の前に降りてきた。この地方は熱心なラマ教のj信者が多く、TLの説明だと何かの仏事があり中国から高僧がやって来ているとの事。街の人も着飾りお祭りのようだ。 10:30、TL・サーダー(シェルパ頭)と「ナマステ小屋」でお茶をよばれながらミーティング。 11:00、各自身支度も凛々しく、シェルパを先頭に今日の目的地パクデンに向けて元気良く出発。 街のはずれ「パサンラマー」(女性シェルパ)の門を出て1時間半、ドウードウーコシ(川)上の「SAINO LOOGE」を借りて昼食(同行のコックが作ったラーメン・ナンが美味い)。 15:25、ドウードウーコシの吊橋を右岸に渡ってパクデンの幕営地に到着。 着いた途端に雷雨、10分も遅れていればずぶぬれのところ。コック・キッチンボーイが日本人向けに作ってくれた夕食をロッジの食堂を借りて食べる、美味い(ロッジ泊まりだとこうは行かないとの事)。 雨の中テント第一夜、多少の雨漏りはあるものの一人テントで快適(TLの強盗に注意が気にかかるが)。 道々、現地の人に“ナマステ”(今日は)と挨拶すると大人も子供も愛想良く“ナマステ”と返事が返ってくる。 |
4月7日(水) 第二日目 パクディン〜ナムチェ へ移動 5:30 “グッドモーニング ティーオアーコーフィー?”のキッチンボーイ声で起床。 暖かい紅茶を大カップに一杯飲み終わる頃、今度はアルミの金だらいで洗面用のお湯が各テントに配られる。 6:15 ロッジのレストラン(場所を借りているだけで同行のコックが作った食事)で朝食、お粥とトーストエッグ。 昨夜の雨はすっかり止んではいるもののまだ曇り空。 6:55 ナムチェへ向けてスタート。 ドウードウーコシ川に沿って進み、9:20 モンジョのサガルマータ国立公園ゲートで入山申請を済ませ、いよいよヒマラヤ登山の始まり。 10:00 ジョサレのロッジで昼食。 80歳だと言う日本人の老夫妻がツアーでなく単独でゴーキョピーク(5463m)に登って来た、一昨日まで79歳が最高齢だったが、昨日自分が記録を破ったと大威張りで下山して来た。この爺さんにはびっくり! 12:30 急な岩の登り坂の中腹で休憩、雲が無ければ最初のエレベストが見えるとの事だが生憎の曇り空で何も見えない。 パクディンからナムチェまでの間、深い渓谷の吊橋を5回渡る、その都度一旦登った登坂路を川まで下りまた登ると言う過酷なルート。 ポーターやキッチンボーイ達は、我々が発った後テントをたたみ荷造りして「ゾッキョ」と共に我々を追い越して行き、我々が目的地に着く頃にはテントの設営・お茶夕食の準備が整っている。仕事とは言え小さな身体のどこにあのようなエネルギーがあるのか、びっくりする。 最後の吊橋を渡ってからの急勾配、標高差約600mは息切れの連続、やっとの思いで 14:15ナムチェ(3440m)に到着。 ここはシェルパの郷、人口800人程の街が馬蹄状の急な谷あいの狭い段地にひしめいている。 ここはロッジやホテルも多く世界中からのトレッカーの中継地として賑わっています。(インターネットカフェまでがあるのにはびっくりしました) * シェルパと言うのは職業の名前だと思っていたら、シェルパ族と言う人達がやっているから、シェルパと呼ばれているとのこと。一つ賢くなった。 我々の面倒を見てくれているサーダー:パ・サーン氏もここに家とロッジがあり、到着後ロッジに熱いレモンジュースが用意され、生き返った心地になる。 午後はたいてい天気が悪くなり、今日は朝から曇り勝ちで周囲の山は何も見えない。 18:00 マウンテントラベル社のロッジで夕食。(夕食後TLを囲んで団欒) テントは同ロッジ付属のテント地に設営(トイレは地面に穴を堀り小さなテントを架けたものが二つ用意されている)。 7:30 各自テントに入り就寝、夜が長い。 食事について 食事はスープから始まってサラダ・メインディッシュ・コーヒー紅茶・デザートまでコック・キッチンボーイが作り、朝昼晩と日本人向けの献立でなかなか美味く、野沢菜の漬物まで出る。時には餅入りのお善哉まで作ってくれる。 キッチンボーイは食事を作るだけでなく食材・食器・調理器具・石油バーナー・石油等14日分全てを頭にバンドを掛け担ぎ、我々を追い越して行きます。 ポーターについて ツアー同行のポーターは、7〜80kg位の荷物を頭にバンドを掛け、急坂をものともせずホイホイと我々を追い越して行きます。「ゾッキョ」はテント用具等を背中に振り分け、せいぜい60kg位が限度だそうです。 荷揚げ専用のポーターは、100kg以上の荷物を運んでいます。建築資材も全てポーターが運び、柱用の角材も4本くらい束ねて担ぎ上げています。シャンボチェにあったブルトーザーも分解してポーターが運び上げたと聞き、びっくりしました。 どんな荷揚げにも、ヘリコプターは一切使わず、全て賃金の安いポーターの人力だそうです。 ポーターは貧しく、足元は靴を履いている者もいるが、大抵はゴム草履が多く、中には裸足で石ころ道を運んでいるポーターもいます。 彼らの寝泊りについて シェルパは小さなテントで雑魚ねしていますが、キッチンボーイはロッジの作業小屋の土間で寝ています。 ポーターは岩陰か木の下で寝具も無しに寝ているようです。
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4月8日(木)第三日目 ナムチェ 高度順応日 エベレストビューホテル往復 昨夜 10時頃目が覚めると真っ黒な物体がテントの中に、ヘッドランプでよく見ると大きな犬が気持良さそうに傍で眠っている。外は相当寒そうだ、全く安心しきってびくとも動かない、番犬として私を護ってくれているようだ。 私のテントを選んでくれて有難う・・・朝まで同居する。 5:30 モーニングティーで起床、外気は氷点下、犬はまだ眠っている。 昨日は何も見えなかったが、西にコンデ・リ山群が朝日を受けて白く輝いている。 東にはタムセルクが逆光の中に聳え立っている。 6:50 朝食 8:00 高度順応のため、シャンボチェからエベレストビューホテルまで往復のハイキング。 途中公園の展望台からアマダブラム(6814m)、ローツエ・エベレスト、等が遥か彼方に一望できる。 初めてヒマラヤらしさの眺望に接し感激する。 10:45 日本人が建てたと言う有名なエベレストビューホテル(3800m)着。 快晴、アマダブラムやローツエ・エベレストが更に大きく見える。感激もつかの間、直ぐにガスが出てくる。 大抵のツアー客はこのホテルでエベレストを遠望し、ルクラに引き返す。 一度は泊まって見たい立派なホテルだが、なかなか予約も取れないそうだ。 11:30 下山開始、シャンボチェの飛行場跡を横切りナムチェへの急坂に「アイリス」の花が咲き始めている。 ナムチェ全体が見渡せ、我々のテントが豆粒のように見える。 12:50 テントに帰る。高度順応ハイキングとは言え、シャンボチェまでの急登が堪えて、大変疲れた。 15:30 お茶 18:30 夕食〜就寝 |
4月10日(土)第五日目 タンボチェの近くの4198mの丘へ高所順応トレッキング 5:30 起床 6:30朝食 8:15 近くの丘へ高所順応トレッキング開始、空気も薄くなり結構キツイ。 9:40 4198mへ登頂。 300m余り登っただけで、眺望はガラリと変わり、天気も快晴でアマダブラムからローツエ・エベレスト・タウツエ・カンテガ・タムセルク等が、一段と近くなったように見渡せます。 沢山、デジカメ撮影。 11:30 下山。 12:00 昼食。 15:00 ラマ教の僧院内部を参拝、お賽銭をして“無事カラパタール登頂”が出来ますようにお願いする。 15:30 お茶。 18:30 夕食。 やはり4000mともなると、高度障害なのか顔や手にむくみが出てきた。 |
4月11日(日) 第六日目 タンボチェ〜ディンボチェへ移動 5:30 起床 6:00 朝食 7:40 スタート タンボチェの丘から一旦、タンボチェの村まで下がり、デボチェを通過してドウードウーコシ(川)の吊橋を渡ってパンボチェの村へ 9:30 ここで休憩。 10:30 川沿いを進んでショマレ着、昼食。 13:55 ディンボチェ(4410m)へ到着。 疲れが溜まってきた。何をする気にもならず、3時のお茶も欠席してテントの中で夕方まで休む。 19:00 夕食もそこそこにシェラフの中へ潜り込む。 |
4月12日(月) 第七日目 夜 高所順応トレッキング、ヒマラヤヒダへ 5:30 起床 7:15 朝食。 8:45 高所順応トレッキング開始、チュクン へ。 ここは、“全ヒマラヤで最も美しいヒマラヤヒダの山々”と言われる「イムジャコーラの無名峰」に囲まれ、ヒマラヤヒダ(ブルーーテッド)が見事な景観を見せてくれました。 折角の眺望だが、体調が悪く写真もあまり摂れなかった、残念。 10:00 ビブレの村(4570m)。 10:40 チュクンへ(4730m)。 12:25 テントへ帰着。 4500Mを越える高度を往復すると、さすがに疲れがひどくなる。 16:00 お茶 高度障害の消化不良で下痢。 夕食はスープのみとし、正露丸を服用して早めに寝る。 寒くなってきた。 |
4月14日(水) 第九日目 待望のカラパタール 5545m 登頂日 4:00 起床(外気は−5度) 朝食 いよいよカラパタールへ挑戦だ! 天気が安定している午前中にアタックしなければならない。 5:05 ヘッドランプを着けてスタート。 30分も歩くと周囲が明るくなり、朝日を浴びた峰々が白く浮かび上がってきた。 クーンブ氷河(石や土を被り所々にクレパスがある)を右下に見ながら、ゆっくりと登って行く。 7:38 エベレスト街道最深部のロッジ「ゴラクシェブ5140m」(カラスの墓場)に到着。 ここから直進すると、エベレストBCに行けますが、今回は日程に無く、我々は左手の小高い丘のように見える 「カラパタール」のピークを目指す。 8:00 登頂開始。 標高差400mあまりで、小さな丘のように見えたが、行けども行けどもピークが見えない。 1時間も登っていないのに息切れがして、足が前に出せない。 メンバーの内一人が体調が悪く、登頂を断念したようだ。 自分も一人だけ遅れ、前の人について行けない。 天候の変化を気にしながら、焦るが段々と離されて来る。 ポケットには、7才の孫が用意してくれた“日の丸の旗”があり、ここで断念する訳にはゆかない。 ツアーリーダーが様子を見に降りてきて、リュックをシェルパに渡すよう助言してくれるが、もう少し 頑張ることにし、歯を食いしばってカタツムリのようにゆっくりと登って行く。 やっとピークが見えてきた。既にメンバーの殆どは頂きに立っているようだ。頑張れ! ここでシェルパにリュックを渡し、 10:20 5545mの頂上に立つ。 幸いにして、未だ雲が無く、夢にまで見た「エベレスト」が目の前にその威容を誇っている。 正面にエレベスト・サウスコル・ローツエ、手前にヌプツエ、エベレストベースキャンプ(5364m)が 下の方に見えている。エベレストから流れ落ち、生き物のように見える大氷河、その下のBCには 沢山のテントが見える。この時季はエベレスト登頂隊が多く、15隊程が登頂に備え準備中とか。 孫が持たせてくれた“日の丸の旗”を出し、TLに記念写真のシャッターをきってもらう。 日の丸の旗が無ければ、途中で断念していたと思う。 総一郎君 有難う! エベレストにガスがかかり、寒くなってきたので、11:00 下山開始。 下山途中、人なつこい雷鳥が数羽近づいて、愛嬌を振りまいてくれた。 11:00 ゴラクシェブ へ下山。 12:00 ロッジで昼食。 13:00 ゴラクシェブを後に、ロブチェへ往路を引き返す 15:30 ロブチェ へ帰着。 テントへ帰り、カラパタール登頂の実感が湧いてきた。 今夜は、ゆっくり眠れそうだ。 |
4月15日(木) 折り返し帰路へ ロブチェ〜ディンボチェ〜タンボチェ移動 6:00 起床 7:00 朝食 7:50 帰路へのスタート。 帰路は、下りのため快適に飛ばし、10:50 ディンボチェで昼食、最後のタンボチェの丘の登りはやはり大変キツク昨日のカラパタールを思い起こさせる。 丘の手前までキッチンボーイが、熱いレモンジュースを持って迎えに来てくれ大変有難かった。 16:40 タンボチェのテントへ帰着。 氷河が削ったパウダー状の砂埃が、前の人の足元から舞い上がり、目や鼻に入るため、ずっとマスクを着けていたが、咽喉が大分やられているようだ。 * 昨日体調を崩したメンバーは、無事ヘリコプターでカトマンズまで下山したとの事、よかった。 |
4月16日(金) 暖い 帰路二日目 タンボチェ〜ナムチェ 移動 帰路は、朝もゆっくり起床(6:00) 8:00 ナムチェへ向けて出発。 9:00 プンキテンガで休憩、10:25 キャンジマのロッジで昼食。熱くなってきたのでシャツを2枚脱ぐ。 キャンジマの露店で記念にチベット風の手彫りのお面を買う。 帰りは、クムジュンの街に寄り道をする(12:45)。 ここの僧院に「雪男の頭蓋骨」があると言われ、尋ねるも村人のお葬式で僧侶が留守のため、中に入れず、残念。 この街は高所にありながら、結構広い平地があり、整然とした耕地や住宅の他学校もあり、生徒達の身なりも良く “ナマステ、ナマステ”と元気に挨拶してくれる。 14:35 ナムチェのテントに帰着。 今日も砂埃に閉口。 13日ぶりに、金盥一杯のお湯で頭を洗う、すっきりして生き返ったようだ。 |
4月17日(土) 暖かい 帰路三日目 ナムチェ〜チュモアへ移動 朝食の時、カラパタール登頂記念の日の丸に、参加メンバーの皆さんのサインをもらう。 8:00 毎週土曜日に開かれていると言う「ナムチェバザール」を見に行く。 狭い斜面の段々に沢山の人が集まり、日用雑貨から食料品まで、何でも揃っている。 商人たちは、1週間もかけて各地から商品を頭で背負って、運び込んで来るとのこと。 大きなヤク・水牛の肉塊を地べたに並べ、屶で切りながら売っている。 ラマ教は牛は食べてはいけないが、ヤク・水牛はよいのだそうである。 11:00 昼食。 11:45 チュモアへ向けて出発。 モンジョの国立公園ゲートで退園届けを出し、桜並木のあるチュモへ。往路では桜が満開であったが もう散って葉桜となっていた。 14:20 チュモア(標高2800m)のテント帰着。 ここのロッジは1件だけで客も我々だけで静か、ドウードウーコシの川音だけが・・・ 3時半頃から、小雨となる。 * ここまで降りてくると、補聴器の聞こえが元に戻ってきた(空気の濃さを感じる)。 |
4月18日(月) 帰路四日目 チュモ〜ルクラへ移動 5:30 起床 昨夜の雨もすっかりあがる。 6:00 朝食 6:55 トレッキング最終日、ルクラへ向けて出発。 8:20 最初にテント泊した、パクディンで休憩、懐かしい。 11:30 ルクラ へ 帰ってきた。 もう、歩かなくてもよいのだ! 苦節13日間 永い永い山歩きが本当に終わった・・・ トレッキング中、一度も雨に遭わず、雨合羽のお世話にならなかかった、乾季とは言え幸運に感謝。 昼食後は、お世話になったテント・シュラフを掃除し、シュラフやマットを天日で乾す。 18:00 最後のテント晩餐、コック・キッチンボーイのご馳走も今夜で食べ収め。 19:00 シェルパ・コックキッチンボーイ・ポーターとのお別れパティーが始まる。 星空の下、皆が車座になって、チャン(どぶろく)とロキシー(チャンを蒸留した焼酎)だけの宴会。 シェルパたちは大変陽気で、歌と踊りを披露してくれ、我々も炭鉱節やソーラン節・雪山賛歌で お返しをするが、てんで様になっていない、それでも宴は盛り上がり1時間あまり続く。 最後に参加者全員が一人づつ、謝辞を述べ、静かなテント中へ。 今夜は良く眠られそうだ。 |